ドイツ語質問箱

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僕(ぼく) と 俺(おれ) との差異 引用
  2012/9/8 (土) 11:10:50 - Kaninchen - <メール送信> - No.1347070250
こんにちは、ドクトル田中先生、

最近、ベルリンの友達に、聞かれたのですが、僕 と 俺 との差異は

何でしょうか? 日本語で教えて頂ければ幸甚です。

よろしくお願い申し上げます

Kaninchen

返信1 返信-1
 2012/9/9 (日) 10:19:47 - 田中雅敏 - <mail@X-seminar.net> - No.1347070250.1
こんにちは。
「僕」と「俺」の差異や性差による主語の使い分け(「僕」と「わたし/あたし」など)
は、日本語にはあって、ドイツ語にはない(人称代名詞 ich しかない)ものですので、
たいへん面白いテーマなのですが、私は日本語学につきましては専門外ですので、申し訳
ありませんが、気の利いたお答えができそうにありません。

よろしくお願いいたします。

ドイツ・オーストリアの放送局 引用
  2012/7/20 (金) 18:11:04 - Kaninchen - No.1342775464
ドクトル田中雅敏先生、

ご無沙汰しております、半年間ほど海外におりましたもので、

ぼくは放送局のサイトは、ZDFしか知りません。そこで、日本のフジテレビのような
民間放送局のサイトがあれば、放送局の???だけでも
教えてくだされば、幸甚です。

よろしくお願いいたします。

Kaninchen

返信1 返信-1
 2012/7/22 (日) 18:25:45 - 田中雅敏 - <mail@x-seminar.net> - No.1342775464.1
たいていのテレビ局は独自のウェブサイトを持っていると思いますので、要は ZDF 以外
の民間のテレビ局にどんなものがあるかお伝えすればよろしいのでしょうか。

http://www.tvtoday.de/tv-programm/

など、テレビ番組表サービスサイトをご覧いただくと、どんな放送局があるかはわかりま
す。ウェブサイトは、テレビ局名で検索すると見つかると思います。たとえば、次のよう
なものです:

http://www.rtl.de/cms/index.html
http://www.prosieben.de/

お知りになりたい答えになっているかわかりませんが、参考になれば幸いです。

ブリキの太鼓 引用
  2012/6/19 (火) 13:27:01 - 韮澤 弘 - <メール送信> - No.1340080021 - 返信コールON
田中雅敏 先生

ドイツ語講読を学んでいる60代半ばの者です。先生のこのサイトを発見しまして、わ
たしのような者でも質問して良いか分かりかねますが、あえて質問させて頂きたいと思
います。

現在、ギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」を訳本と対照しながら読んでおります。
その中でどうしても理解できない部分が出てきたので、可能でしたらコメントを頂けれ
ば幸いです。

Der jüngere Formella mußte erst immer alle Witze loswerden,die ihm bei seinem
Beruf als Beleuchter zu Ohren kamen.( Günter Grass≫Die Blechtrommel≪
(Deutscher Taschenbuch Verlag)S.140)

弟のフォルメラは最初はいつも、照明という職業柄耳にする冗談をなんでもかんでも言
わずにいられない男だった。(高本研一訳「ブリキの太鼓」(現代の世界文学-集英社)
p.93)

loswerdenは「取り除く、振り払う」等の意味であるので、むしろ「冗談を受け付けない
男だった」と言うような意味に取れるのに、なぜ上記のように「冗談をなんでもかんで
も言わずにいられない」と言うような意味になるか不明です。



Wissen Sie,Herr Bebra,ich rechne mich lieber zu den Zuschauern,laß meine
kleine Kunst im Verborgenen,abseits von allem Beifall blühen,bin jedoch der
Letzte,der Ihren Dabietungen keinen Applaus spendet. ( Günter Grass≫Die
Blechtrommel≪ (Deutscher Taschenbuch Verlag)S.144)

わかるでしょう、ベブラさん、ぼくはむしろ観客でいたいのです。ぼくのささやかな芸
術をひそかに、あらゆる拍手喝采から離れたところで開花させたいのです。しかしぼく
はあなた方の出し物にいちばん拍手喝采を惜しみません。(高本研一訳「ブリキの太鼓」
(現代の世界文学-集英社)p.95)

der Letzte,der Ihren Dabietungen keinen Applaus spendetは、むしろ「あなた方の出
し物に拍手喝采を与えない最後の者」すなわち、「あなた方の出し物に拍手喝采をけっ
して与えない」のような意味になってしまうような気がします。

以上2点、私の解釈では意味が反対になってしまうような気がしますので、是が非でもお
尋ねしたく思い、歳のことも考えず、質問に及んだ次第です。よろしくお願い申し上げ
ます。

返信1 返信-1
 2012/6/25 (月) 13:51:46 - 田中雅敏 - <mail@X-seminar.net> - No.1340080021.1
回答が遅くなりました。

> Der jüngere Formella mußte erst immer alle Witze loswerden,
> die ihm bei seinem Beruf als Beleuchter zu Ohren kamen.

> 弟のフォルメラは最初はいつも、照明という職業柄耳にする冗談をなんでもかんでも
> 言わずにいられない男だった。

> loswerdenは「取り除く、振り払う」等の意味であるので、むしろ「冗談を受け付け
> ない男だった」と言うような意味に取れるのに、なぜ上記のように「冗談をなんでも
> かんでも言わずにいられない」と言うような意味になるか不明です。

たしかに los|werden には「厄介払いにする、不要なものを売り払う」など、厄介なも
の・不要なものを los (解き放つ) というような意味合いになりますね。上記の該当箇所
で、「(職業柄、仕事中に耳にする)冗談」が“不要なもの”かどうかはわかりませんが、
“解き放っている”ような雰囲気は伝わってきます。自分が知りえた冗談を使いたくてうず
うずするということでしょうか。

上記の箇所に続く部分を見ますと、

Der ältere Bruder Formella kannte die Witze und lachte dennoch aus brüderlicher
Liebe ansteckend an den richtigen Stellen und [...]

となっているようです。これを読む限りでは、兄は弟が我慢できずに使ってみる冗談を、
本当はすでに知っている(初めて聞くのではない)ものの、優しさをこめて笑いのツボの
ところで笑ってあげる、というような主旨のことが書かれています。そのことを考えます
と、やはり弟は冗談を(受けつけないのではなく)口に出しているのではないかと考えら
れます。

仕事中に耳にして溜めこんでいた冗談を放出(解放)する ⇒ 耳にした冗談を言わずには
いられない

ということになるのでしょうか。


> Wissen Sie,Herr Bebra,ich rechne mich lieber zu den Zuschauern,laß meine
> kleine Kunst im Verborgenen,abseits von allem Beifall blühen,bin jedoch der
> Letzte,der Ihren Dabietungen keinen Applaus spendet.

> わかるでしょう、ベブラさん、ぼくはむしろ観客でいたいのです。ぼくのささやかな
> 芸術をひそかに、あらゆる拍手喝采から離れたところで開花させたいのです。しかし
> ぼくはあなた方の出し物にいちばん拍手喝采を惜しみません。

> der Letzte,der Ihren Dabietungen keinen Applaus spendetは、むしろ「あなた方の
> 出し物に拍手喝采を与えない最後の者」すなわち、「あなた方の出し物に拍手喝采を
> けっして与えない」のような意味になってしまうような気がします。

もしも、ich bin nicht der Letzte, [...] であると考えると(つまり、nicht を入れて
否定文にしてみると)、「あなた方の出し物に拍手喝采を与えないのは私が最後ではない
(=他にも同じような人がたくさんいる)」という意味になりますね。しかし、ここでは
nicht がないのですから「あなた方の出し物に拍手喝采を与えないのは他にどこにもいな
い(=拍手喝采を与えないとしたらそれは私が最後である)」、しかし実際には私として
は拍手喝采を与えるつもりである、ということになるのではないでしょうか。

もちろん、ご指摘のとおり、この文は文字通りには「あなた方の出し物に拍手喝采を与え
ない最後の者」となっています。ただ、作中の『ぼく』自身は拍手喝采とは縁のないとこ
ろにいたいが、あなた方の出し物は拍手喝采とは無縁どころか拍手が惜しまれないほど素
晴らしいものだ、という対比が jedoch でなされていると考えられますので、翻訳のなか
にある「(ぼくが)いちばん拍手喝采を惜しみません」の「いちばん」というニュアンス
はどこから来るのか自信がありませんが、翻訳者のかたは上述のように解釈されたのでは
ないでしょうか。

的外れなことを書いているかもしれませんが、参考になりましたら幸いです。

返信2 返信-2
 2012/6/25 (月) 17:57:28 - 韮澤 弘 - <メール送信> - No.1340080021.2
田中先生、早速のご教示有り難うございました。
第1の質問について、兄についての描写部分も引用すべきでしたが、わざわざ書き加え
て頂きまして、申し訳ありませんでした。先生の解説で納得がいきました。
第2の質問ですが、初心者にはなかなかここまでは思い至りません。先生は、nicht を
入れて考えることをご教示下さいましたが、ご返事を頂く間に、二重否定的に考えたら
どうかと思い至りました。すなわち、
nicht der Erste,der Ihren Dabietungen keinen Applaus spendet.
と書き換えます。論理的には、der Letzteとnicht der Ersteは同じではありませんが、
まあ等しいと考え、二重否定ですから、最初のnichtと後のkeinenを同時にとって、
der Erste,der Ihren Dabietungen Applaus spendet.
と書けるのではないかと思いました。
このような思考方法は、正当化されるでしょうか。
再度の質問のような形になりましたが、よろしくお願い申し上げます。
なお、「ブリキの太鼓」を訳本と対照しながら読み始めましたが、初心者にはトーマス
マン等より難しいドイツ語であると感じております。今後とも質問させて頂きたいと思
っております。迷惑でしょうか、よろしくお願い申し上げます。

Wasser 引用
  2012/5/20 (日) 19:36:21 - ボビコ - <mie@coffee.ocn.ne.jp> - No.1337510181
こんにちは。よろしくお願いします。

以下の詩に出てくる「Wasser」について教えてください。

<Wasser: welch
ein Wort. Wir verstehen dich, Leben.> Paul Celan

Wasserはシラブルで切ると、Was-serになるので、:のあとのwelchといい換えられて
いると仮定しました。Wasを感嘆文の「何という」の意味でとると、Welcher Wortの
Welcherと同じということになるでしょうか?つまりWelcher=Wasserでしょうか?

変な質問でもうしわけありません。Wasserの「水」に「何という」という意味が隠され
ていないかということがお聞きしたいことです。

また同じことなのですが、umrißは「輪郭」ですが、um-rißと分けますと、移動・変換の
分離動詞と「裂け目」になり、この「裂け目」は変容していくといったニュアンスとい
ったものとして読むことは可能でしょうか?

すみません、よろしくお願いします。

返信1 返信-1
 2012/5/22 (火) 05:01:35 - 田中雅敏 - <mail@X-seminar.net> - No.1337510181.1
ご質問をきちんと理解できているか自信がないのですが、

> <Wasser: welch ein Wort. Wir verstehen dich, Leben.> Paul Celan

welch に「なんという」(感嘆)の意味があります。welch ein Wort で「なんという言
葉なんだ」(感嘆の意味で)となります。Wasser「水」を音節に切り分けてみると、was
という語を含むことになるので、そこに(も)感嘆の意味がこめられているかもしれない
という御指摘ですが、この場合、was für ein Wort の意味になるということでしょう
か。welch が welcher になるというところがよくわかりませんでした。Wasser を切り分
けときの -(s)er が welch と結び付けられて welcher になる、というお話のように読め
たのですが、この場合、Wasser は中性名詞ですので welches Wort になるのだと思います。

> umrißは「輪郭」ですが、um-rißと分けますと、移動・変換の分離動詞と「裂け目」に
> なり、この「裂け目」は変容していくといったニュアンスといったもの

Umriß に対応する動詞は umreißen で「輪郭を描く」というものです。たしかに分離動詞
で um|reißen「引き倒す」という動詞もあります(「|」はそこで分離するという印とし
ます)。分離動詞のときはとりわけ、基礎動詞(この場合 reißen)の意味に前綴り
(um-)がニュアンスを加えており、そのため、できあがった分離動詞は基礎動詞から大
きくは意味が変わらないことがほとんどです。動詞reißen だけでも「引き裂く」という
意味で、「転倒」のニュアンスの um が加わって「引っ張って転倒させる(=引き倒
す)」という分離動詞の意味になるのだと思います。
名詞 Umriß に、この分離動詞のほうの um|reißen の意味(「引き倒し」)があるのかわ
かりませんが(辞書にはなかなか載ってないようです)、もしあるとしても、um は基礎動詞
reißen から転じた名詞 Riß に様態を付与しているのでしょうから、um(転倒・回転)さ
せるように Riß(割くこと)という意味あいになるのであって、Riß(裂け目)が um(変
容)するというふうにはならないのではないでしょうか。

返信2 返信-2
 2012/5/22 (火) 18:42:31 - ボビコ - <mie@coffee.ocn.ne.jp> - No.1337510181.2
困惑おさせしてしまい、もうしわけありません。それなのに丁寧なご回答に感謝いたし
ます。
ひとつだけ確認よろしいでしょうか?
Rißは辞書に新型Rissと載っていたのですが、それだけだと「裂け目」という意味を持
ち、umrißは「輪郭」ということで正しいでしょうか?
初心者のどうしようもない質問、お許しください。

返信3 返信-3
 2012/5/23 (水) 06:23:21 - 田中雅敏 - <mail@X-seminar.net> - No.1337510181.3
いえいえ、ご質問内容は私自身も回答を考えながらとても勉強になるものですので「どう
しようもない」なんてとんでもないです。先のご質問が、言葉のなかに隠されたメッセー
ジを解き明かすような性格のものでしたので、それならば、私にはきっと解き明かせな
い、そしてボビコさんのお望みの答えが書けないだろうと考えてのことでした。

さて、Riß と Riss の件ですが、これはドイツ語の新しい綴り方(正書法)によるもので
す。Riß の母音 i は短く発音する(短母音)のですが、短母音ならば直後の子音は2つ
なければ(つまり Riss)いけない、子音の数が1つならば(つまり -ß)長母音
にならなければならないという規則から、Riß を Riss と改めたものです。Umriß も同様
で、新正書法では Umriss と書きます。ほかにも、daß → dass(〜ということ)、Fluß →
Fluss(川)、iß → iss(essen「食べる」の命令形)などがその一例です。

> Rißは(中略)「裂け目」という意味を持ち、umrißは「輪郭」ということで正しい

Riss (Riß)は「裂く」という意味の動詞 reißen の名詞対応形ですので「裂け目」、
Umriss (Umriß)は「輪郭を描く」の意味の動詞 umreißen の名詞対応形で「輪郭」で
す。なお、前回の話に出てきた「引き倒す」の意味の動詞 um|reißen の名詞対応形とし
ての Umriß (Umriss) がなかなか辞書ではお目にかかれないのですが、可能だとすれば
「引き倒し」という意味で使われることになると思います。要するに、これらは reißen
→ Riß (Riss)、um+reißen → Umriß (Umriss) という対応形の話であるというわけです。
なお、reißen の ß が ss にならないのは、直前の母音が ei で、これが二重母音だから
です。二重母音は長母音と同じ扱いになります。

返信4 返信-4
 2012/5/23 (水) 18:00:31 - ボビコ - <mie@coffee.ocn.ne.jp> - No.1337510181.4
どうもありがとうございました。
たいへんよくわかりました。

またお聞きすることがあろうかと思いますが、
どうぞよろしくお願いします。

初めまして 引用
  2012/5/13 (日) 17:20:02 - 大川 - No.1336897202
4月からドイツ語の学習を独学で始めたのですが、
学ぶうえで3点気になったのことがあるので質問をさせて頂きます。

1.ドイツ語の格変化は、なぜ1〜4格なのか。
格変化が分かりにくく、1〜4格というのはドイツらしく(?)合理的に分類されているのか
と思いましたが、辞書の巻末の文法の部分を見てドイツ語にも主格・属格・与格・対格と
名称がある事を知りました。
初めから名称で説明されていれば分かりやすかったのですが。

2.ドイツ語の辞書にはなぜカタカナでの発音が記載されているのか。
家にドイツ語の辞書があったので、それを使おうかと思い中を確認すると、いくつかの単
語の発音記号の後にカタカナで発音が記載されています。
それが非常に気になったので、書店で独和辞典を確認するとほとんどの辞書にカタカナで
の発音が記載されており、発音記号のみが記載されているのは、1冊しか見つけられませ
んでした。

3.ドイツ語で文章を書く際に、ÄをA、ÜをU、ÖをOと書くことはありますか。
奇妙な質問に思われるかもしれませんが、ネイティブであれば、ÄをA、ÜをU、ÖをOと書か
れていても問題なく理解できるのかなぁと思ったのですが、省略して書くということはあ
りますか。
それとも、必ずÄはÄと書き、Aと書くことはないのでしょうか。

過去の質問を全ては確認していないので、もし既出の質問であれば申し訳ありませんが、
ご回答をしていただければ、嬉しく思います。

よろしくお願い致します。

返信1 返信-1
 2012/5/15 (火) 15:35:45 - 田中雅敏 - <mail@X-seminar.net> - No.1336897202.1
> 1.ドイツ語の格変化は、なぜ1〜4格なのか。

たしかに、この「1」〜「4」という格の番号は、ドイツ語文法における慣習的なものの
ようです。ですから、「主格」や「対格」という用語で首尾一貫させるのも手だと思いま
す。ただ、多くの教科書や参考書で1〜4格と使ってありますので、一応この表示にも慣
れておく必要がありますね。

ただし、「3格」を「与格」と呼ぶといっても、実際には「与格(つまり間接目的格)」
ばかりの使用ではなく、前置詞の格支配のように「与える」ことと無関係のものもありま
すので、3格の使用領域をすべて「与格」という用語でカバーできるかといえば、できて
いない側面もあるのでしょう。そうすると、あえて、用法に縛られない数字を使った名称
というのが意味があるのかもしれません。

> 2.ドイツ語の辞書にはなぜカタカナでの発音が記載されているのか。

私自身は辞書を編纂したことがありませんので、詳しいところまではわからないのです
が、たとえば私の手元にあります同学社の『新アポロン独和辞典 第3版』(2010年)のF
ページには、「すべての見出し語に仮名による発音表記を添えたが,これは初学者が検索
した語を自ら発音することを助け,オーラル学習を促そうとするものである。」と書かれ
ています。

> 3.ドイツ語で文章を書く際に、ÄをA、ÜをU、ÖをOと書くことはありますか。

個人差があるかもしれませんので、断言はできませんが、ウムラウトがなくても意味がわ
かるときにはひょっとするとウムラウトは省略する人もいるかもしれません。ただし、そ
ういう人であっても、ウムラウトの有無で別の単語になってしまい、文全体に意味に影響
を及ぼすときには、ウムラウトは省略しないでしょう。参考までに、私の手元にあるドイ
ツ人の筆跡による手紙をスキャンしたものを載せておきますが、ウムラウトがほとんど
「i」の上の点と同じぐらいに書かれているのが見てとれます(赤い○のところがウムラウ
ト)。かなり崩した書きかたをすることは多いようです。
http://bbs.x-seminar.net/images/umlaute.jpg

返信2 返信-2
 2012/5/16 (水) 18:28:56 - 大川 - No.1336897202.2
早々の、そしてご丁寧なご回答有り難うございました。

1・2の質問に関しては、現在の参考書・辞書で使用されているということは、それだけ
の理由が存在するということですね。
まだ文法の基礎を勉強しているところなので、あまり文法用語にとらわれずひとつひとつ
しっかり身に着けていこうと思います。

ドイツ人の筆跡の手紙のアップロードも有難うございました。
ドイツ語を聞いたり、印刷物を見ることはあっても、中々手書きのものを見ることはない
ので、とても参考になりました。

簡単すぎて! 引用
  2012/4/11 (水) 20:41:06 - 藤田伊織 - <mocfujita@aol.com> - No.1334144466
Er war bei sich angekommen.
です。文が簡単過ぎて、解らないです。
「彼は彼と一緒に着いた。」では、ないだろうと。warでなくて、hatでも一緒とらし
い。「彼は彼と連絡を取った。」でも変です。
前後は
Er wieder ein kleiner Junge, der sich mit Hingabe und Leidenschaft einer Sache
widmen konnte, die nichts mit Bilanzen, Quoten oder Cashflow zu tun hatte. Er
war bei sich angekommen. Einige Sekunden hielt er seine Fingerspitzen auf dem
kalten Metall, während seine Augen auf die Grabinschrift mit der magischen
Namenskombination starrten.
で、バッハの墓石のところでのシーンです。
私としては、「彼は自分を取り戻した。」とか「われに返った。」とか「彼は自分を受
け入れた。」ではなかろうか、と想像していますが、解りません。
200ページの小説も今のところは176ページであとちょっとです。
田中先生よろしくお願いします。

返信1 返信-1
 2012/4/23 (月) 03:10:56 - 田中雅敏 - <mail@X-seminar.net> - No.1334144466.1
返信が遅くなりました。申し訳ありません。

bei sich sein で「正気である」という表現ですので、そこから考えますと bei sich
ankommen は「正気になる、我にかえる」というような意味で良いのではないかと思いま
すが、テキストの前後関係と合いますでしょうか。「彼は、我にかえり、指先を冷たい金
属板にそっと置いたまましばらくじっと、、、」
しばらくの間、なにか物思いにふけっているような描写が、先行する部分で描かれていれ
ばよいのですが。

返信2 返信-2
 2012/4/23 (月) 12:43:29 - 藤田伊織 - <mocfujita@aol.com> - No.1334144466.2
アドバイスありがとうございます。
>bei sich sein で「正気である」という表現ですので、<
私の辞書では nicht bei sich sein が「ぼんやりしている」としか出てきませんが、
nicht を取ってみれば、「正気である」でした。
ankommen が難しかったです。やはり、簡単?な文章は難しい。
それで、
「彼は、我にかえり、指先を冷たい金属板にそっと置いたまましばらくじっと、、、」
は、ぴったりの訳です。さすが田中先生。
そこを入れて、約200ページのドイツ語の探偵小説を日本語に出来ました。日本語にす
ると、早い展開にも読むのがついて行けるので、一語、一文で考えていた時には、もやも
やしていた内容がすっきりと把握できるようになり、読む楽しさが何倍にもなりました。

返信3 返信-3
 2012/4/23 (月) 14:10:06 - 田中雅敏 - <mail@X-seminar.net> - No.1334144466.3
> ankommen が難しかったです。

ankommen は「到達点」のほうだけを見る表現でしょうから、zurückkommen とは違って、
「始点」に戻る表現ではなさそうです。ですから、厳密には「我にかえる」とまったく同
じ意味になるのかどうかわかりません(「かえる」は「始点にかえる」という意味を連想
させる)。

ただ、「物思いにふけっていた状態」から「物思いから脱した状態」に「至る」というこ
とがニュアンスとして含まれていることを確認したうえで、他に適切な日本語がなけれ
ば、日本語としては「(我に)かえる」と表現したとしても、大きくは外れないのではな
いかという印象を受けました。

Ganzheitsmethode ? 引用
  2012/4/8 (日) 16:31:53 - Kaninchen - <メール送信> - No.1333870313
こんばんは、ドクトル田中先生。

全習法(ぜんしゅうほう)とは、同学社 アポロン独和辞典に載っている説明だけで
は、よく分かりかねますのでもっと詳しく説明してくれないでしょうか。
よろしくお願い致します。

Kaninchen

返信1 返信-1
 2012/4/23 (月) 14:04:00 - 田中雅敏 - <mail@X-seminar.net> - No.1333870313.1
こんにちは。

回答が遅くなり、失礼いたしました。

「全習法(ぜんしゅうほう)」につきましては、恥ずかしながら、私もよく知りませんで
した。早速、ご指摘の『アポロン独和辞典』(同学社、第3版第2刷、2012年)の
Ganzheitsmothode の項を見てみましたところ、読みかたの指導法のひとつとして記載さ
れているようですね。

ただし、もう少し調べてみますと、この「全習法」は、それと対をなす「分習法」とあわ
せて、読みかたの指導のみならず、文法の学びなどにも応用して用いられる概念のようです。

そこで、私なりに考えてみましたところ、たとえばドイツ語文法でしたら、「分習法」と
は、話法の助動詞、未来形、現在完了、受動態などを別々に習うアプローチで、「全習
法」ですとそれらを互いに関連した項目として一括で習ってしまうアプローチとなるので
はないかと思います。やや極端な例示ですので、理論的には間違ったことを申し上げてい
るかもしれませんが、言いたかったのは、これらはいずれも「助動詞+動詞の不定形」と
いう共通点があり、ドイツ語の枠構造(Rahmenstruktur)にも関わるもので、一括して学
習することも可能ではないかということです。

助動詞(定動詞第2位)................. 動詞の不定形(文末)
 dürfen ............................... trinken
 werden ............................... trinken
 haben/sein ........................... getrunken
 werden ............................... getrunken

今の例示は、あくまでも、動詞の位置(第2位や文末)や、動詞の形(定動詞、動詞の不
定形)の共通点からみた分類で、これを本当に「全習法」と呼んでよいのかどうか、私に
は判断がつかず、申し訳ありません。しかし、「分習法」が、話法の助動詞、未来形、現
在完了、受動態などをそれぞれ独立したものとして扱うということと比較してみますと、
多少なりとも「全習法」と呼べそうな方向性を持っていることは言えるかと思います。

他の分野における「全習法」と「分習法」も、この例示と同じような比較において区別で
きるものではないかと想像しております。

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